

※「
★高台寺中谷」をクリックすると周辺の風景を見ることができます。
京都の中でも知名度が高く、多くの人々が訪れる清水寺。
参道を上りつめると、仁王門、西門、三重塔が迎えてくれます。
本堂には「清水の舞台から飛び降りる」というエピソードが残っている断崖の上にせりだした舞台があり、
そこから京都の市街地が一望できます。
また、春の桜、秋の紅葉など四季折々の美しい風景を眼下に眺めることができます。
境内には霊屋や開山堂など多くの重要文化財の伽藍、境内奥には二件の茶室、傘亭と時雨亭があります。
いずれも千利休の意匠による建物で、傘亭は番傘のように放射状に竹を組んだ屋根が特徴です。
その他にも開山堂と霊屋を結ぶ階段状の回廊は屋根瓦を鱗に見立て、
龍が天に昇るように見えることから「臥龍廊」 と呼ばれています。
八坂の塔は東山のシンボル的な建造物で、正しくは法観寺といい、
聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより塔を建てたのが始まりといわれています。
本瓦葺き五層・高さ46メートルの塔は創建以来たびたび焼失しましたが、
その都度再建され、白鳳時代の建築を現代に伝えています。
二層まで登ると小さな窓から京都市内の町並みを見ることができ、
季節ごとの景色を楽しむ事もできます。
八坂神社の歴史は、平安建都の約150年前の斉明天皇2年(656)と伝えられています。
平安京建都以前より八坂神社のある東山一帯は、
渡来人であった八坂造(やさかのみやつこ)一族が住したところであり、
「八坂の塔」で有名な法観寺も平安京以前の創建で、
八坂造の氏寺なのではないかといわれています。
八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称していましたが、
明治維新の神仏分離にともない「八坂神社」へと改称されました。
円山公園は京都で最初にできた公園で、桜の名所として有名です。
公園は明治19年(1886)につくられました。
園内に坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像があり、
美しい回遊式庭園を散策できます。
桜や紅葉などの季節に限られず、いつもたくさんの人々が訪れています。
美しい景色の他にも、公園内では大道芸人などがたびたび出現するので、
もしかしたら出会えるかもしれません。
ねねの道から三寧坂へ
(ねねのみち から さんねんざか へ)
円山公園から高台寺、清水寺方面へ歩いていくと「ねねの道」、「一寧坂」、「二寧坂」、「三寧坂」へと続きます。
「ねねの道」は豊臣秀吉の妻・「ねね」ゆかりの寺である高台寺と円徳寺があることからそう呼ばれるようになりました。
これらの道の終着点に清水寺があり、その途中、一寧坂と二寧坂の間に高台寺・中谷の店舗はあります。
建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家によって創建されました。
創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していましたが、
文永2年(1265年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、
規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。
以降は荒廃と復興を繰り返し、明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、
建仁寺はその大本山となります。
その後、廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、
余った土地を政府に上納し、境内の半分近くが縮小され現在にいたったとされています。
圓徳院は豊臣秀吉の妻、北政所ねね終焉の地とされています。
ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、
甥の木下利房によって圓徳院が建立されました。
北庭「北政所化粧御殿」は伏見城より移してきた枯山水様式で、
本堂には長谷川等伯の襖絵などが桃山文化を伝えています。
また、境内の三面大黒天は秀吉の守り本尊、福の神として知られています。
金比羅宮は天智天皇の御代に藤原鎌足が一堂を創建し、
紫色の藤を植え「藤寺」と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことがはじまりとされ、
「悪い縁を切り、良縁を結ぶ」御利益があるとして知られています。
崇徳天皇と共に祀られている大物主神は、古くから道開きの神様として信仰されており、
特に讃岐(香川県)の金刀比羅宮は海上交通の守り神とされてきました。
当宮は京都市内唯一の金比羅さんとして、釣り人やマリンスポーツを楽しむ人々の信仰を集めています。